日々の仕事の中で、AIを使う頻度がGoogleで何かを検索することを圧倒的に上回るようになりました。
長くWebメディアの世界に身を置き、検索エンジンとともに生きてきた身として、この変化は肌感覚として「脅威」でもあります。
「検索(探す)」から「生成(作らせる)」へのシフトは、情報の流れそのものを変えてしまうからです。この変化を長いスパンで見通しながら、自分の事業にどう影響が出るのか、その中で自分はどう変わり、何と向き合っていくのか。今まさに、それを深く考える時期に来ていると感じています。
使用頻度が上がれば上がるほど、小手先のテクニックではなく、体系的に学ぶことが必要な局面だと痛感しています。もはや子供との時間以外にプライベートなんてない、というほどそこに時間を費やしていますが、それだけの価値と必要性があると考えています。
そんな中で、自分なりにAIと向き合い、辿り着いたひとつの解釈があります。
AIは「人間の思考プロセスそのものを解析したもの」だということ。
私たちが辞書で言葉の意味を調べるとき、ある言葉を「他の言葉」に置き換えて説明するように、AIもまた、オブジェクトそのものの「意味」や「文脈」を知っているわけではありません。膨大なデータの中から言葉同士の相関関係を数値化し、それを元に整理しているだけ。
極論すれば、彼らは意味を理解しているのではなく、確率と相関を計算しているに過ぎないのです。
この構造がわかっていると、プロンプトの書き方一つが変わってきます。AIが意味を理解していないからこそ、我々が意図的に文脈を与え、方向性を定めてやる必要があるのです。そこにある意図なくしてはその活用も別のものになってくると。
そしてこの視点は、Webメディアのあり方そのものにも通じます。これまでのWebメディアは、検索エンジンやSNSからトラフィックを獲得するために、テクニカルなSEO対策を施したり、アルゴリズムに好かれるコンテンツづくりも強く意識してきました。
しかし、生成AIが新たな情報のチャネルとして台頭してきた今、そのゲームのルールは根本から変わろうとしています。AIが人間の思考プロセスを模倣したものである以上、それに向き合う私たちに必要なのは、小手先の技術論ではありません。「人間はどう考えるのか」「その情報の先にどんな行動があるのか」「人の感情はどう動くのか」——そういった、人間の思考プロセスや感情に対する想像力なくして、これからのWebメディアのあり方は考えられないのです。
AIが突きつけているもの。それは技術に踊らされることではなく、まさに人間の思考に対する原点回帰です。
AIは流暢な言葉を紡ぎ出します。しかし、それはどこまで行っても計算された「言葉の羅列」に過ぎません。この先の未来、技術を活用しつつ、同時にそれを超えていくために必要なもの。それは、言葉に至るまでの人間自身の思考プロセスであり、原体験に基づく一次情報です。
アルゴリズムには出せない、自分だけの体験と文脈。それらを豊富に持つことこそが、AI時代における最強の生存戦略になると信じています。